紙おむつの憂鬱

下段は、1年ちょっと前にブログに公開しようと思って書きかけていた文章です。でも、残念ながら、公開する直前に父の認知症がひどくなり、「闘い」のような日々が始まり、ブログどころでなくなりました。そのうちに父は誤嚥性肺炎や意識障害で入院してしまったのですが、半年の入院生活の末に他界。後を追うように、母まで入退院を繰り返した揚げ句に亡くなりました。

というわけで、「介護日記」を書く立場ではなくなってしまい、ブログもそのまま放置してしまったという話は、前回紹介しました。

でも、以下の文章のことがずっと気になっていて、この際、このブログのテーマを「身近なエコ」に大転換し、「かっこいいエコな生活」について、考え続けていくことにしました。

介護経験の中で気付いた問題も含め、身近な暮らしの「エコ」について、試行錯誤しながら考える機会にしたいと思っています。

タイトルも、「憧れのエコ生活」に変更いたします。

今後とも、よろしくお願いします。

 

(以下、2021年3月20日記のブログ準備稿)

週に2日ある可燃物のごみ出しの朝は、毎度憂鬱になる。

理由1。まず、ごみ袋がとにかく重いのだ。

昨日もそうだったのだが、両親2人分の紙おむつが入ると、ズーンと重くなる。環境省が昨年3月に出した「使用済紙おむつの再生利用等に関するガイドラインについて」という文書には、「国内で消費された紙おむつは、し尿を吸収して重量が約4倍になり」と出てくるが、実感としてはもっと重いように思う。

僕のうちは両親だから、「排出量」も並以上。大きなごみ袋2枚がどちらもパンパンに膨らみ、マンションのごみ置き場まで持っていくのがひと苦労だ。

理由2。悩ましいのは、その重さだけではない。紙おむつの成れの果てを考えると、どうも気になって仕方がない。そう、大抵の自治体では焼却炉に持ち込み、焼却処分することになる。僕が暮らす街もそうだ。これだけの量を毎回焼却すると、果たしてどうなるのか。

これから本格的になるであろう超高齢化社会に向け、避けて通れない問題だけに、気がかりだ。

まず、一体、紙おむつは何からできているのだろう。

僕の両親が購入している紙おむつは以下の通り(価格は消費税込み)。

母:ライフリー あんしん尿とりパッドスーパー(798円)

ライフリー 一晩中お肌あんしん 尿とりパッド(1,397円)

父:ライフリー 長時間あんしん リハビリパンツ(1,998円)

ライフリー ズレずに安心 紙パンツ用尿とりパッド 長時間用(1,498円)

 

このうち、父の「リハビリパンツ」なる紙おむつの素材表示を見ると、下の写真のように、ポリオレフィン不織布、綿状パルプ、吸水紙、高分子吸収材、ポリオレフィンフィルム、ポリオレフィン、ポリウレタン、スチレン系エラストマー合成樹脂と書かれている。要するに、ほとんどがプラスチックだ。

 

そして、一応、プラスチックのリサイクルマークもちゃんとついている。

 

 

燃やしても特に有毒ガスが出る素材ではないのだろうが、確実に二酸化炭素は出るし、焼却炉に入れると水分をたっぷり含んだし尿付きだから、余計な燃料は確実に必要だろう。

このプラスチックを、この表示通りに資源回収して再利用できないのか。

実際には福岡県大木町や隣のみやま市、鹿児島県志布志市、島根県の一部など、一部で紙おむつのリサイクルを実行している先進的な自治体があるが、ごく限られている。

そんなことにはお構いなく、父の紙おむつ、尿とりパッドはぐっしょり濡れて、ずっしりと重い。寝たきりの母も大量のパッドがごみとして出る。我が町にはこの「プラスチックごみ」の回収システムがないから、いずれも、「燃やせるごみ」の日にマンションのごみステーションに出すことになる。仕方がないとはいえ、毎回、罪悪感に苛まれてしまう。

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「介護日記」改め、近々再スタート

ブログの更新を2年近く怠っている間に、このブログの主題でもある「介護日記」が書けなくなってしまいました。昨年暮れ、父と母が相次いで他界してしまったからです。

あれも書こうと、これも書こうと思っていたのですが、やはり介護中はなかなか冷静に向き合う余裕も無くなっていました。いつも時間に追われ、イライラのし通し。食事の支度から床掃除、大量の洗濯、ごみ捨てと、精神的にも身体的にも、疲労が積み重なってクタクタ、クラクラしていました。

でも、最初に父が救急車で運ばれ、半年の入院の後に他界。それからすぐ、母が食事を取らなくなり入院。父の死からほぼ50日後に、父の後を追うように息を引き取りました。

どう考えても、2人は「もうこれ以上、お前に面倒をかけたくないから、逝くね」と私に言ったように思えてなりません。

約3年しか両親の介護はできませんでした。でもこの間、介護や家事でたくさんの経験をし、色々と考えることもありました。この経験を生かして、これからのブログを展開していこうと思っています。

「男一匹」は変わりませんが、「介護生活」から「エコ生活」へとテーマを変更しようと思います。勘違い、誤解。試行錯誤を繰り返しながら、私なりのエコ生活を探究していこうと思っています。

実は今年の春、住んでいた街を流れていた大河の南側から北側へと引っ越しました。

 

上の写真は、その大河です。以前住んでいた側から対岸を写しました。

では、今後ともよろしくお願いいたします。

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棕櫚を綯う。

アルツハイマー型認知症と診断された父親の行動は、僕には理解し難いことばかりだ。

■哀れ、棕櫚

マンション一階にある自宅には庭があり、大きな楠や檀、桜、山桃、百日紅、楓、正体不明の柑橘類など何本か木が生えている。その中に3mほどの高さの棕櫚(しゅろ)が1本あるのだが、最近父はその樹皮をむしってきて、庭に出る階段に座り込んだまま日がな一日、縄を綯(な)い続けている。下の写真を見ても分かる通り、いかにもチクチクして痛そうな縄なのだがーー。

 

 

一体、この縄を何に使うのか。本人は、家庭菜園の野菜を支える杖を縛るなどの庭仕事で必要だというが、わざわざ棕櫚から縄を作らずとも、ひもや縄の類ならいくらでも家の中に転がっているはず。父は棕櫚の幹がどうも気になって仕方なかったらしい。コツコツ、コンコンと盛んに音がするので気になって庭を覗くと、父が斧(おの)や鉈(なた)、時にはカッターナイフを手に、樹皮剥がしに夢中になっていた。

 

この寒い季節。椰子の仲間なのだろうから、南方系の植物に違いない。下の写真を見ても、樹皮を剥がされた幹は寒風に晒され、いかにも寒そうに見える。その時は結局、途中でやめさせたのだが、「汚かったから切った」「木は大丈夫」と父は平然としていた。実際、調べてみると棕櫚は寒さにも結構強いらしいのだが、父がそれを知っていたとは思えない。

       

      

■行方不明事件

ひと月ほど前の夕方、父が行方不明になったと母から電話連絡が入った。父母の夕食用に宅配してもらっている弁当を、外の弁当置き場に取りに行くと言って玄関から出て行ったまま、戻って来ないというのだ。

 

父の行方不明事件は、その時が初めてではない。認知症の診断が出た昨年末から4回目。ついに「徘徊」が始まったのかと愕然とした。

 

前回はやはり弁当を取りに行くと言ってマンションの敷地の外に出てしまい、自分のいる場所が分からなくなり、挙げ句の果てに近所の老人介護施設の前で転んでしまった。施設の職員の方が気づいて自宅まで送り届けて下さった。

 

前々回は、ミカンを買いに行くと言って出かけて道で転んだ(その時はバナナを握りしめていたらしいが)。通りがかりの人が救急車を呼んでくれ、病院から迎えに来るよう連絡が入った。その前にも一度、いなくなっている。

 

「徘徊」といっても「弁当を取りに行く」「ミカンを買いに行く」という明確な目的があるから、厳密な意味では「徘徊」とは言えないかもしれない。とはいえ、日頃から注意が必要なことは当然だ。とはいえ、昼間、僕は仕事で外に出ていていないし、母はずっとベッドに寝たきりなので、外に出て行こうとする父を止めることは難しい。強行突破されると、どうしようもない。

 

またか。正直言ってうんざり。放っておきたいぐらいだが、そういうわけにもいかず、仕事を中断してとりあえず自宅のマンションに戻った。

 

すると、何ということか。父は、自宅の玄関前に段ボールを敷き、その上に座り込んで、棕櫚の樹皮で縄を綯っているではないか!

 

ひとまずほっとはしたのだが、「なんばしよるとや!!!」と声を荒らげて問いかけた。すると、「弁当屋さんが来るのを待っている」という返事。弁当屋さんが来ても見えるはずのない玄関先に座り込んで、縄を綯いながら。弁当屋さんはとっくに弁当を置いて、帰ってしまっていたというのに。隣近所にどう思われたことやら。

 

■長期記憶は凄い

父は農家に生まれた。幼少期に稲藁で縄を綯った経験があるらしい。たまたま庭の棕櫚の樹皮を見て、かつての記憶が蘇り、「あれは稲藁の代わりに使える」「何としてでも縄を綯うのだ」と決意させたのではないか。数分、いや数秒前に飲んだ薬のことも忘れている一方で、長期記憶恐るべしだ。

 

現在、一番上の写真程度の縄が完成しているのだが、庭作業に使っている形跡は一向にない。どうせだったら、タワシを作るとか、籠を編むとか、縄なんかよりも商品価値の高い工芸品を作ってネットで売れば、貧しい我が家の家計の足しになりそうなもんだが、父も僕もそこまで器用ではない。

 

それにしても、赤い樹肌を寒風に晒す庭の棕櫚が、哀れでならない。

 

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ダブル車椅子

 夕暮れ症候群の父と、車椅子生活20年超の母を連れて、大学病院へ行った。いつもは片方ずつなのだが、この日はたまたま2人の受診日が重なってしまったので、やむをえず仕事を休んで、付き添いに全力投球だ。

■大学病院へ

この日、九州では珍しく雪が積もっていた。寒い朝、まず、母を車椅子ごと自家用車の後部に乗せる。母を乗せるために購入した介護用車両なので、後部座席を取り外し、電動リフトで車椅子ごと引っ張り上げる。それがまずひと仕事なのだが、次に一人では車に乗ることもままならない父の腕を取って、腰を抱え、何とか助手席に押し込む。そこまでで、61歳の僕はすでにヘトヘトだ。

 

道路の雪はほとんど解けていて問題はなかったが、大学病院の駐車場に着いてからが再びひと仕事。まず、母を乗せた車椅子を車から降ろす。母をそばで待たせたまま、父用の車椅子を探して駐車場まで持ってくる。認知症の他にパーキンソン病を患っている父は、歩くのにもひどく時間がかかる。だから、人が行き交う大学病院内の移動にはいつも、病院備え付けの車椅子を使っている。

院内にて

ようやく父を車椅子に乗せるて振り返ると、母がいない。勝手にどんどん先に進んでいる。ちょっと待ってくれよと愚痴りつつ、父の車椅子を押して追いつき、やっと2台の車椅子を連ねて院内へ。

 

 

最初の総合受付を終えたところで、ずっと無沙汰をしていた父方の叔母と従妹にばったり出くわした。叔母は散歩していて転んで顔を打ったそうで、気の毒に腫れていた。父は愛想笑いこそ浮かべていたものの、悲しいかなほとんど無反応。反対に、母は懐かしそうにしばらく立ち話。いや、母は「座り話」か(=写真)

 

20年以上車椅子生活をしている母は、さすがに車椅子の操作に長けていて1人でも動き回れるが、車椅子初心者の父には無理。母はこの日、胃カメラの検査を受けるため消化器外来へ。父はパーキンソン病とアルツハイマー型認知症の診察で脳神経内科へ。それぞれ順番に受付へ連れて行く。

 

大学病院の待ち時間は、本当に長い。ひとまず母の診療科窓口で手続きを終え、待っている間に父の受付窓口に移動。3階と2階に別れているので、2人をそれぞれの待合席に待たせたまま、エスカレーターで上ったり下ったりを何度か繰り返す。主治医の診察には僕も同席したいので、タイミングを見計らって移動を繰り返さなくてはならない。

 

雪の影響で診察開始が随分遅れたらしく、父の診察は予約時間より1時間以上遅く始まったが、特に問題なく十分ほどで終了。続いて、急いで父の車椅子を押して母の待合室へ。胃カメラの準備がなかなか済まないらしく、その間、ずっと待ちぼうけ。ようやく始まった検査もなかなか終わらず、父はコックリコックリ車椅子の上で寝ている。

 

そろそろ終わりかなという頃、父が目を覚まし、「小便に行く」と言う。いつも、周囲の状況も時間も、そして人の都合や迷惑も一切顧みない父らしいナイスタイミング。仕方ないので車椅子を押してトイレに連れて行き、外で待っていると、やはりなかなか出て来ない。

 

身が引き裂かれる!

父はもはや、ブリーフやトランクスなどの布パンツ類は履けない。100%尿漏れパッド付きの紙おむつだから、1人で脱げないでいるのかと気にはなり始めたちょうどその時、院内アナウンスで母の名前が流れた。え? 何? と耳を澄ませると、「ご家族の方は診療科窓口までおいでください」と言っているではないか!!

 

慌てふためき、とりあえず父をトイレに残したまま母の消化器内科に引き返すと、胃カメラ検査を終えた母が気分悪そうな顔で座っていた。母は一応認知症でもなさそうで、1人でも達者な口を使って難局を切り抜けられる。だが、無口な上に認知症になってしまった父には無理。母に父の居場所を告げて、すぐにトイレに引き返した。まったく身が引き裂かれるよ。

 

トイレに着いたところで、父が出てきて外に置いた車椅子には目もくれず、どこかに歩き去ろうとしていた。おーい、どこに行く? と呼び止め、どうにか車椅子に乗せ、再び待たせていた母の元へ。

 

母の診察が終わると、2人分の支払いを済ませたり、病院に隣接する薬局に薬を取りに行ったりと、まだまだ付き添いの役目は終わらない。その間、2人は病院内のコーヒーショップに残して昼食を摂らせていた。食い意地のはった父は、サンドイッチ3つも平らげていた。母は1つ。こちらは昼飯抜きで走り回っているというのに。

 

そうこうして、家に帰り着いたのは午後3時過ぎ。5時間以上も病院にいたことになる。同じ日に2人の通院に付き添うのは、もう勘弁してもらいたいよ。

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「男一匹、介護日記」始めます。すみません。

■はじめまして

88歳の父、84歳の母とともに、九州を流れる大きな川のほとりの街で暮らしています。60歳を機に、会社に異動願いを出し、故郷の街に戻って来て1年半が過ぎました。日々、知力も体力も衰えていく父母を間近に見ていると、その頓珍漢ぶりに笑ってしまうことも多いのですが、やり場のない悲しみや怒りに苛まれてしまうこともしばしば。「冷静に、冷静に」と自分を戒めるのですが、箍が外れて怒りが爆発する日も多く、後悔、悔恨、悔悟の介護の日々でもあります。

 

せめて第三者の眼を持つ努力をして、自分自身の感情の動きを見つめ、記録しておこう。そう思い立って、このブログを始めることにしました。65歳以上の高齢者人口が日本の総人口の3分の1に迫る今後、多くの人々にとって介護は避けて通れない道。私が直面している在宅介護は、厳しい介護現場のごくごく端っこにぶら下がっている日常に過ぎませんが、ささやかな喜怒哀楽から、何かを感じていただければありがたい、と思っています。

■とうとうその日が来たか

少しだけ落ち込んだ。

 

「あん人は、だっかい(あの人は、だれかい)?」。88歳の父が僕のことを思い出せなくなり、車椅子生活が長い母が寝ているベッドまで聞きに来たという。2カ月半ほど前のことだ。

 

毎朝6時に起きて朝食を作り、排泄物で汚れた父のももひきを鼻をつまんで手洗いすることも、両親が出す使用済み紙パンツをパンパンにごみ袋に詰め込み、ごみ置き場まで出しに行くことも、その他、家事全般を引き受けながら、会社勤めも続けているというのに。61歳の僕の体力だって、かなり限界に近いのだ。癌の治療からまだ2年たったばかり。それなのに、名前を忘れるなんてひどいじゃないか。あなたがつけた名前だろ?

 

父は昨年のクリスマス・イブまで、認知症の診断こそ受けておらず、「パーキンソン病により認知機能が低下している」と診断されていた。パーキンソン病なので、すり足のよちよち歩き。体が右側に傾いて、食事をボロボロと右側の床にこぼしながら食べる。「右傾化は日本のためにもよくない!」と文句を言うのだが、特に何の反応もない。笑ってもくれない。いつかこういう日が来ると覚悟はしていたが、やはりショックだ。

 

とはいえ、完全に僕のことが分からなくなったわけではない。先日も汚れた紙パンツを床に放置したことをとがめ、何度同じことを言わせるか、そんなに俺の仕事を増やしたいのか、俺だって疲れ果てているんだ、と詰め寄ると、「私のために、あんたがいろいろしてくれるのはありがたいと、感謝している」なんていう言葉をポツリと漏らす。そんな言葉を聞くと、自分が発した怒りの声が自らにはね返ってくる。何度同じことを繰り返しているのだろう。

 

■クリスマスプレゼント?

昨年のクリスマスイブに、父を大学病院に連れて行った。最近、あまりに認知機能が衰えた気がしたので、これもパーキンソン病の悪化なのか、と父の主治医に尋ねてみた。早速、認知症のテストをしてくれ、あっさりと「アルツハイマー認知症パーキンソン病に被さっている状態のようですね。きょうから認知症の薬を出しましょう」と認知症の宣告をされてしまった。まずはガランタミン4㎎。とんだクリスマスプレゼントだった。

 

そのガラクタミンも、今や8mg。このまま、どんどん増えていくのだろうか。薬に対しては猜疑心が拭えず、このまま主治医の処方を受け入れ続けていいのだろかと、気になって仕方がない。

 

父は最近、自分がかつて数年暮らしたことのある隣県にいると勘違いしていることがよくある。午後にはヘンテコな話が増える。特に夕方になると、ジャンパーを着込み、リュックサックを背負って、川のほとりの街にある自宅に帰ると言い張る。主治医によると、「夕焼けチョウコウ(兆候?)」という認知症の症状の一つなのだそうだ。「夕暮れ症候群」ともいう症状なのだろう。夕方になると、人は子どもの頃の記憶が蘇り、「うちに帰らなくては」と気持ちがせき立てられる。あるいは家で待つ家族のために食事の支度をしなくては、とあせる。「ここがあんたのうちだ」と説得するのは、なかなか骨が折れる。

 

だが、ふと考え込む。父と母と僕が同居しているこのうちは、そんなに居心地がよくないのだろうか、僕が父に接する態度がよくないのか、汚れた紙パンツをそこいらに放置しても、怒ってはいけないのだろうか。そんなこと言われても、無理だよな。僕だって普通の人間。いつも優しくなんて、できっこない。

 

■これからもよろしくお願いします

昨年中に始めようと思ったこのブログですが、初回がとうとう年を越し、早くも2月も半ばを過ぎてしまいました。予定より2カ月半以上遅れてしまいした。介護はなかなか忙しく、仕事の時間も、ブログを書く時間も圧迫します。先が思いやられますが、何とか書き続けていければ、と思います。よろしくお願いします。

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